磯崎公美 さん

陸上競技

創立80周年おめでとうございます。私が高校3年生の時に40周年でした。当時40周年ということで元貴乃花親方の講演がありました。私は大会があり残念ながら参加することはできませんでした。私が山北高校を選んだ理由もスポーツが盛んだったからです。厳しいということはありませんでしたが、伸び伸びと部活動をやらせてもらったと思います。高校3年間はとても楽しく有意義な高校時代を送らせて頂きました。部活動の一環として始めさせていただいた陸上競技でしたが、吉田先生との出会いで日本一にさせて頂き、とても感謝しております。陸上をしていなかったら、今の仕事もしていなかったと思います。山北高校で陸上に出会えたことは一生の宝物です。

磯崎公美

現在

ナイキジャパン 勤務

中学校時代まではバレーボールの選手だったが、中学3年生の時に神奈川県立山北高等学校の体育館でおこなわれた練習試合の際、同校の陸上部顧問教諭から素質を注目され、翌年進学すると陸上部に入部した。 高校3年の1982年に、インターハイで100m・200m・400mの短距離3冠を達成。さらにニューデリーで開催されたアジア大会でも200m・400mに加え、4x100mリレーと4x400mリレーでも金メダルを獲得した。日本選手権では女子100mにおいて1度(1981年)、200mにおいては7度優勝(1981年、1982年、1984年-1988年)、400mにおいても2度の優勝(1983年、1987年)を誇った。

高校卒業後はナイキ・ジャパンに入社。1986年のソウルアジア大会では400mで銅メダルであった。

28歳の時に現役を引退[1]。引退後もナイキ・ジャパンで陸上関連の活動を続けている。

山北高校70周年記念誌の際のその磯崎さんの記事が掲載されています

https://yamakita-h.pen-kanagawa.ed.jp/yamakitahistory.htm